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幼き日のワンシーン 〜弟の旅立ちを祝して〜 [エッセイ]

記憶力はさほど良くないけれど
幼き日のワンシーンだけは、しっかり脳裏に焼き付いている。
あれは僕が3歳半だったある夏の日の出来事。

黒い電話が鳴った。夕方だった。
電話が鳴ったときに応答するのは母の役目。
しかしその日は慌ただしく父が応対していた。
父は僕に一言告げると戸締まりをし、勝手口から僕の手を引いた。
車に乗り込むその前に、塀の向こうから隣のおばちゃんに「どうしたの?」と訪ねられた。
僕は先ほど父から受けた一言を、そのまま向かいのおばちゃんに告げた。
「ヒロちゃんたら嘘ばっかり!」
この台詞が今でも鮮明に耳に残っている。

車が向かった先は近所の病院。
僕は絵本で見ていたお猿さんのような赤ちゃんとガラス越しに対面した。
弟との初対面のシーンだ。

繰り返し聞き続けたカセットテープみたいに
繰り返し見続けたアニメビデオみたいに
忘れられないフレーズ、シーンがある。

今も深く刻まれた弟誕生の日の一遍。

先日弟が結婚した。
可愛くて明るい奥さんと、新しい家族をスタートさせた。

僕は結婚式の撮影係。
ファインダー越しに垣間見る様々な表情の二人に、弟との想い出のアルバムをゆっくりと重ねて見ていた。

右の手に小さな小さな温もりを思い出した。
それは僕の娘が力一杯に握る人差し指の感覚に似ていた。
同時に
病弱だった幼少の、点滴にうなだれる弱い姿が浮かんだ。
声変わりをする前の、たどたどしい言葉を繋いだ弟の声が聞こえた。
テレビゲームが思うように進まずに、泣きながらコントローラーを振り回す姿が蘇った。
ビックリマンやミニ四駆、ポコペンや替え歌、遊んだ記憶は不思議と色褪せない。
結婚披露宴が終幕を迎え、堂々と挨拶をする君を捉えた瞬間、右手に感じていた小さな温もりが飛び立っていくのを感じた。

今この瞬間に 伝えたい旅立つ君へ
この瞬間 この場所で・・・
本当におめでとう いつまでもお幸せに

そして新しく「家族」になった弟の奥さん。
これからもよろしくね。


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共通テーマ:恋愛・結婚

逢えない別れ [エッセイ]

昔仕事で付き合いのあった方が先月亡くなった。
それを人伝いで聞いた。

付き合いがあったのは、職場が変わる6年ほど前のこと。
仕事の話が中心ではあったが、時々呑みに行ったりして馬鹿話もしていた。

事故だった。
通勤中の会社近くでオートバイの事故だったらしい。
30代半ば過ぎ。
とても早過ぎる旅立ちである。
急な知らせにショックを感じつつ心から冥福を祈った。

そして思った。
僕は今までもこれからも、どれくらいの「逢えない別れ」に遭遇するのかと。

例えば学生時代によく遊んだ友達。
例えば恩師や先輩。
例えば過去に付き合った恋人。

「その当時」は深い付き合いがあったけれど、今は写真や記憶の中でしか逢わない人たち。

この瞬間では「逢わなくなった」だけなのかも知れないけれど、人間は命に限りある動物なので、いつかは「逢えなくなる」関係になるのだろう。

感慨深い。

この歳だと、出逢いの数の方が圧倒的に多くて(仕事メインだが)、別れということを考えることがあまりない。
けれども普遍的に刻まれる時間軸は、確実に別れを紡いでおり、また何処かでそれを近付けている。

例えば学生時代によく遊んだ友達。
例えば恩師や先輩。
例えば過去に付き合った恋人。

記憶の中で変わらない姿の夢人は今も元気にしているだろうか。
全てを把握するのは不可能だけれど、安否さえも分からないという現状を考えると、、、
なんだかちょっぴり切なくなった今夜の一遍。

そして同時に思うこと。
インターネットというアイテムは、この切なさをちょっぴり解決してくれる現代の魔法である。


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不二家事件について一言 [エッセイ]

嘘は嘘を呼ぶ。
隠ぺい行為は、罪を幾重にも重ね、自分に舞い戻る。

僕はペコちゃんに育てられた。
ペコちゃんの御陰で元気に大きく成長出来た。

言い方を変えよう。

僕の父は不二家を42年間勤め上げた。
製菓企業の一片として日本の高度経済成長を支えてきた一人。
そして不二家を誰もが知る会社に成長させた一人だ。

父は05年度末に無事定年を迎えた。
定年記念には家族揃ってお祝いをした。

不二家がいつからこの手の不正をしていたかは知らない。
しかし父の話を今まで聞いていた限り、父の現場ではそのようなことはなかっただろう。そう信じている。

だからこそ、言わせて欲しい。
不二家の幹部に言わせて欲しい。

何故、人の命と直接繋がる「食」を軽んじたのか!
何故、雪印乳業の「負の遺産」を活かせなかったのか!!
何故、ポリシーを持って働き、歴史を築いた先輩達を傷つけたのか!!!

そして、全ての消費者にも言わせて欲しい。
確かに不二家は悪い。
報道から知る限り組織ぐるみの犯罪であり、その罪は非常に重い。
けれども確固たるプライドを持って製菓にこだわり、お菓子造りに情熱を燃やし続けた社員が居たこと、現在でも居ることを忘れないで欲しい。

今後しばらく、不二家製品を目にすることは少なくなるだろう。
それは「当然」であり、償うべき「罪」である。

けれども、このままこのブランドが消滅することだけは避けて欲しい。

何時の日か、必ず何時の日か、スーパー・コンビニで普通に不二家製品と出逢えることを楽しみにしている。

TVの報道で、ペコちゃんの人形が写った。
首をカタカタと愛嬌を振りまくペコちゃん。

報道の中ではペコちゃんが謝っているような気がしてとても切なくなった。

ペコちゃんは未来永劫、子供や大人の心を癒す存在であって欲しい。



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憧れの家 [エッセイ]

いつか自分の家を持つなら
一軒家がいい。

実家が一軒家であり、その場所で24歳まで過ごした。
その後、3つのアパート・マンションを住み渡ったけれど一軒家への想いは募るばかりだった。

夢を語るのはタダである。
空想の世界にお金は掛からない。
だから理想を述べるなら、、、

防音の部屋が欲しい。
それが地下ならこの上ない。
8〜10畳くらいのスペースが良い。
2部屋必要だ。

まずは、、、
ハイビジョンプロジェクターを置いて、100インチくらいのスクリーンを設置。
YAMAHAの5.1chサラウンド環境を完備し、映画を愉しむ。
もちろん、最上のくつろぎを与えるソファーも必要だ。
昼でも夜でも、自分の好きな音響レベルで濃厚な時間を過ごす。

次に、、、
簡易スタジオを造る。
ドラムセットとアンプを設置。
近所の仲間でバンド演奏を愉しむ。
片隅には、Macを中心にミキサーを並べる。
端にはレコーディング用のブースを設け
モニタは、もちろんBOSE製で揃える。
子供が望むならピアノも置こう。
通信カラオケも引いたら、生音とカラオケのコラボが楽しめそうだ。

理想は鉄筋コンクリートの地下一階、地上二階だ。
地上一階は大きなリビングを設け、バーカウンターは欠かせない。
二階はそれぞれの環境で、それぞれの日常を楽しむ。

冒頭にも記したが、、、
夢を語るのにお金は掛からないのである。


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共通テーマ:住宅

ぬぐえないかゆみ [エッセイ]

勉強でも仕事でも遊びでも
何でも良いんだけどさ、すっごく集中できてさ
結果はともかく、自分なりに満足していたつもりでいたのに
夜眠るとき、ちょっと胸を過ぎること

色んな事が上手くいかなくてさ
すっごく凹んで
「そんな日もあるさ」
ってB型特有のポジティブ思考で切り替えたつもりでも
夜眠るとき、やっぱり胸を過ぎること

後ろ髪を引かれる気持ち
ちょっと違うかな

胸にぬぐえないかゆみを感じる夜
僕の場合はこれかな

書いていても 読んでみても
もどかしい想いは届かないけれど

そんな僕の今夜の一遍

まぁ そんな日もあるさ


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共通テーマ:日記・雑感

ルールを問う [エッセイ]

僕は今、とある団体の代表グループに居て、その団体のために日々時間を費やしている。
っと言っても、変な宗教等ではない。。
ごく普通に、これを読む人の周りに有り触れた団体である。

150人程度の団体だ。もう少し時間が経てば200人程度になる。

団体を統率するにはルールが必要だ。
規約ってヤツだ。
今、その規約を仲間内で練っている最中である。

もちろん、規約が完成すれば代表以外のメンバーにも公表することとなり、承認されればそれが正規版となる。

古くから僕を知っている人なら分かると思うが、僕は誰かを束ねるような器ではない。
自分で言うのも変だが、誰に束ねられる方だ。
悪く言えば「利用される方の人間」なんだと思う。
けれども規模は小さいかも知れないが、確実に今僕は束ねる方の人間であり、「規約」を造る方の人間なのである。

別にこの話はマニアックな内容ではないし、反俗的な意見を述べるつもりでも無い。
僕が語りたいのは「規約」の話である。

僕たちが「規約」を発表したとき、どれだけのメンバーが真剣にその「規約」を理解しようとするだろうか。
自分も今までそうだったが「大して見ようともしない」が大半だろう。
おそらく90%の人間はこれを選択する。

ともすると「規約」は、発信する側の思うように造ることが可能だ。
10%の人間さえ納得させられれば、思うように造られた「規約」は「正規」として採用される。

・・・この先「規約」は「ルール」という表現に変えよう。

僕たちの暮らしは、ルールが繋いでいる。
赤信号はSTOPで、青信号はGOである。
他人に迷惑になることはしてはいけない。
こんな教えから始まり、僕たちの生活はルールと共に動いているのだ。

学校のルール(校則)、会社のルール(職務規程) 、社会のルール(法律) 。
国際的なルール。日本国憲法という名のルール。

そしてルールは日々変化している。
今日も明日も法律の名の元で変化している。

話を少し前に戻す。

・・・
僕たちが「規約」を発表したとき、どれだけのメンバーが真剣にその「規約」を理解しようとするだろうか。
自分も今までそうだったが「大して見ようともしない」が大半だろう。
おそらく90%の人間はこれを選択する。

ともすると「規約」は、発信する側の思うように造ることが可能だ。
10%の人間さえ納得させられれば、思うように造られた「規約」は「正規」として採用される。
・・・

この解釈は、正解ではないだろう。
でも、不正解でもないだろう。

こんな思想が浮かんだ時、僕は真剣に自分の団体の規約を考え始めた。

ルールは、選抜された個人のモノではない。
ルールは、平等でなくてはならない。


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つくば 〜 Love my Town〜 [エッセイ]

今まで4つの町で生活している。

神奈川県平塚市に生まれて、24歳まで同じ場所で育った。

転機が訪れたのは、2001年の丁度今頃だ。
仕事の都合で茨城県に移り住んだ。
最初の1年半は、茨城の見事な田舎で四苦八苦しながら暮らした。

そして、茨城県つくば市に移り住んだ。
2003〜2005年の約2年間だ。

生まれた平塚にも深い思い入れがあるが、つくばも愛して止まない街である。
第二のふるさとを挙げるならば? 次に住みたいのは?
この質問を受けたら、つくばと答える。本当に好きな街である。

つくば市は、研究学園都市としてそれ相応の「都会」の顔を持つ。
つくば市は、中心から少しクルマを走らせるだけで、心落ち着く「田舎」に出逢える。

この街は公園が多い。
大規模な公園。小規模な公園。
平日も休日も散歩を楽しむ住人が多いのがこの街の特徴だ。
この街は道路が広い。
1985年につくば万博を開催する際に、この街は開発された。
それまで何も無かった土地に、都市を造った。
なので、全てが計画的に設計され、街作りが成されている。
この街は進化する。
僕が暮らした2年間は、つくばエクスプレス開通に向けて、まさに激動の数年だった。
瞬きの仕草で街が進化していった。

暮らす上で何も不自由の無い都会だ。
そして
夜になって空を見上げれば、東京では遭遇し得ない程の星に出逢える。

2005年より、また仕事の都合で引っ越しをした。
東京勤務なのだが、つくばから離れることを拒んで、茨城にほど近い千葉県に移り住んだ。
神奈川に戻っても良かったのだが、僕は茨城寄りを選択した。
千葉に移り住んでから結婚したが、披露宴もつくばで行った。
僕の親戚も友達もほとんど神奈川だが、それでもつくばで行った。

今日は、そのつくばでセミナーがあった。
仕事上必要な知識を得るためのセミナー。

16時過ぎに、このセミナーは終了したので少し散歩をした。
スーツ姿でビジネス鞄を抱え、ゆっくり、ゆっくり散歩した。

今日は天気が良かった。
暖かかった。
緩やかな散歩道で、幾人もの親子連れとすれ違った。

やっぱり僕は、この街が大好きなのである。


つくばエクスプレス駅前。
つくば駅は地下なので、駅自体はをこの場所から見ることは出来ない。


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日記 [エッセイ]

初めてパソコンを買ったのは、1995年の初夏。
僕が18歳の頃だった。
あの頃はまだ「パソコン」が、今みたいに一般家庭に普及していなかった。
コンピュータと聞いて誰もが連想するのは「ファミリーコンピュータ」だった。
そんな時代。まだWindows95が発売される前の話だ。
でも、そんな遠くない昔の話。

パソコンを買った理由は、「音楽製作」だった。まぁカッコイイ。
当時まだ珍しいDTMを注目していたのだ。まぁカッコイイ。
DTMとは“ですくとっぷみゅーじっく"である。平たくいえばパソコンで創る音楽だね。

でも18歳のhiroyuki少年は、パソコンなんて触れたことすら無かった。
それこそ、マウスって何?ダブルクリックって何?の世界である。
そして、回りに誰もパソコンなんてやってるヤツはいなかった。
「お前ポケベル買った?」の時代だ。アムラーギャルが栄えた時代だ(?)
ちなみに僕はこの頃ポケベルでは無く携帯を買った。携帯もまだ誰も持っていなかった。
PHSが出現するちょいと前のお話だ。機種はDoCoMoのモトローラー。
DoCoMoのTVCMは宅麻伸と若かりし頃の篠原涼子。
敵対勢力はIDO(現au)で、CMタレントは安田成美だった。
とにかく新しいモノが大好きだったのは昔から変わっていない。
ちなみにその時の僕のあだ名は「ケータイ君」だった。

話を元に戻して、、、
大した下調べもなく買ったのがMacだった。
それが僕のMac人生の幕開けだが、Macについては長くなるのでまた別に語ろう。

DTMに憧れて道具を揃えたまでは良かったが、何をどうすればいいのか全く分からなかった。
OS操作もキーボードタッチも分からないのである。
DTMなんて雲の上の存在だった。

そんな僕が始めたのが「日記」だった。
「分からない」では、せっかくのパソコンがインテリアになってしまいそうだったのでとにかく毎日触れていようと思った。
それが日記だった。

日記。
今は残念ながら続けていないけれど、2004年まで毎日付けていた。
ほぼ10年の歴史だ。
夜の時間をもてあますと時々読んだりするけれど、我の事ながらとても面白い。
自分の「歴史」に浸ることが出来る。ココロが一瞬タイムスリップする。
あの頃はあの女の人と、あんな恋愛していたんだな。。。ってね。
正に青春の一遍。
表現古いけど、この甘酸っぱい気持ちを語るには青春ワードは欠かせない。

ブログってのが世の中に浸透して、自分の毎日、考えを不特定多数に公開する時代が来た。

でも、日記とブログは違う。

自分自身に時空を越えて語りかける日記。

皆さん、日記って付けてましたか?
時折読み返したりします?


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